【Working Life with IDDM】vol.01 1 型糖尿病発症。何よりも大事なのは、自分が主治医となること

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Working Life with IDDM とは…

小児糖尿病とも呼ばれ、子どもの発症者が多い 「 1 型糖尿病」 。しかし、この病気は子どもだけの病気ではありません。大人になって 1 型糖尿病を発症し、病気と付き合いながら社会生活を送っている患者さんも、数多く存在しています。

この “Working Life with IDDM” のコーナーでは、成人してから 1 型糖尿病を発症した伊勢智一さんにインタビューを行い、大手企業に勤めるビジネスパーソンとして働きながら、どのように 1 型糖尿病と付き合っているのか、体験談をお伝えしていきます。

組織の中で責任のある立場で働きながら自己管理を行っていくこと、海外赴任や出世についてなど、他の患者さんや患者家族の参考・指針となるように 「 1 型糖尿病と付き合いながら働くということ」 について、率直に語っていただきたいと思います。

伊勢智一さんは、 1960 年生まれの 55 歳。大学院卒業後、 24 歳から一部上場企業に勤務され、第一線で活躍されているビジネスパーソンです。 24 歳での就職以来、岡山、大阪、東京、倉敷、アメリカ、兵庫と、海外赴任も含め、各地で勤務をされてきました。

そんな伊勢さんが糖尿病を発症したのは、30 歳の時。 34 歳からインスリン治療を始め、それ以来 20 年以上も、毎日インスリンを注射する生活を送っているそうです。

伊勢智一さん( 55 歳)
伊勢智一さん( 55 歳)

岡山で 2 型糖尿病を発症、そして大阪へ転勤。
“主治医が変わる” ことで、大きな変化が…

私が初めて糖尿病を発症したのは、30 歳の時、まだ独身で、岡山で一人暮らしをしていた頃ですね。 2 型糖尿病と診断されました。その時は目立った自覚症状があったわけではないのですが、なかなか疲れがとれず、病院に行ってみた結果、糖尿病だということがわかったのです。

後になってよく考えてみると、その 1 年くらい前に肺炎で入院した時、看護師さんたちが 『血糖値が…』 『食事のメニューが…』 などと、話しているのがなんとなく聞こえてきたことがあったんです。もしかするとその頃から、血糖値はかなり高くて糖尿病食が必要な状態だったのかもしれません。でも、その時は肺炎で入院していたため、特に僕には告知もなく、そのままスルーしてしまっていました。この肺炎で40度以上の発熱があり、すい臓にダメージを与えてしまったことが、糖尿病発症のきっかけだったかもしれません。

今の妻と交際を始めたのは糖尿病教育入院の後で、 2 型糖尿病であると告知した上で、31歳で結婚しました。
そして、大阪に転勤。岡山にいた時は糖尿病専門医にかかっていたものの、大阪では会社近くのクリニックに通い始めます。

その当時の治療は、薬もなにも処方されず、食事療法と運動のみ。毎日、食事に含まれる糖質を計算して、きっちりと運動するように心がけていました。ちょうど、会社のビルに内科クリニックがあったので、これは近くて便利だということで、そこに通い始めました。しかし、その頃、どんどん血糖値が上がり始め、改善が見られなくなりました。食事と運動についてはきっちりと管理をしていても、薬も使っていないこともあって、一向に成果があがらないんです。働きながら食事に気をつけ、さらに日々の運動も行うというのは、なかなか大変です。なのにまったく血糖値は下がらない。これはかなりストレスになりましたね。

治療を続けても血糖値が上がり続け、体重は 10 キロ以上減量し、人相まで変わりました。これは、いわゆる高血糖の典型的症状です。

考えてみれば、最初に主治医となった先生は、糖尿病についての知識が不足していたんでしょうね。血糖値がどんどんあがっているのに『がんばって生活を改善し、数値を下げていきましょう』と言うだけで、具体的なアドバイスも何もありませんでした。こちらとしてはもう充分がんばっているのに、何をどうすればいいかもわからない。それで、そのクリニックの別の医師にかかるようになりました。きっかけは、当時は 2 型患者には貸与されていなかった血糖自己測定器を貸与してほしいとクリニックの窓口で交渉していたことです。そこにたまたま通りかかったクリニックの院長が、『では私が見ましょう』と言ってくれたのです。自らが病気に対して能動的に動いたことで、医師が替わり、事態が好転しました。

院長は糖尿病専門医でした。院長にインスリンの分泌量を図ってもらい、そこで初めてもう既にインスリンが分泌されていないということがわかりました。そこで 「 1 型糖尿病」 であると診断されたのです。そこから、私のインスリン投与が始まりました。 34 歳の時です。

型糖尿病から、 1 型糖尿病へ。
能動的な医師選びが、病状、生活を変えた

2 型と 1 型は原因が異なりますので、 2 型が悪化して 1 型になるということはありません。これは緩徐進行 1 型糖尿病 ( SPIDDM ) だったのに、それがわからなかったということです。岡山で最初に糖尿病を発症した段階では、それがわからなかったということはありえるのですが、大阪であまり糖尿病についての知識のない内科医にかかってしまったため、インスリンの分泌がまったくない 1 型糖尿病となっていることになかなか気づくことができませんでした。

正直、 2 型から 1 型に変わり、生活はとても楽になりました。 2 型と診断されていた時は、どんなに食事や運動に気をつけていても、まったく血糖値が下がりませんでしたから。しかし、インスリンが分泌されていないということがわかれば、インスリン注射を行うことで、血糖値管理をしていくことができます。

しかし、妻にインスリン注射することになったと告げた時には、病気が悪化したと思ってショックを受けていましたね。その後すぐに慣れたようですが。

私の持論は 「主治医は患者が自ら選ばなくてはいけない」 ということです。これは糖尿病に限ったことではなく、別の病気に関しても言えることです。別の病気で入院した時にも、 1 型糖尿病患者として入院しながらインスリン生活を続けることの難しさを実感したこともありました。この入院の模様に関しては、また今度、お話したいと思います。

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