【Working Life With IDDM】vol.09 実績を見せて勝ち取った海外赴任生活がスタート!

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東京から岡山、そして念願の海外勤務へ!持病そして家族のこと

東京での多忙ながらも充実した生活が4年を過ぎた頃、再び岡山への転勤を言い渡されました。サラリーマンの悲しい性ですが、またもや自宅のある関西を通り越して3か所目の単身赴任となりました。岡山といってもこれまでの工場勤務ではなく研究所勤務でしたので仕事の環境は大きく変わりました。本来であればまた転勤に伴う主治医探しを始めるところでしたが、東京時代に多めにもらっていたインスリンと注射針の在庫が結構な量ありましたので、2か月ほど主治医を定めないまま過ごしました。やがて市内に専門医を見つけて診察を受けるようになりましたが、ここには長くかかることはありませんでした。というのは、ついに念願の海外勤務に就けることになったからです。東京から岡山に移ってわずか半年後のことでした。(photo by Sebastiaan ter Burg)

 以前は1型糖尿病を理由に海外駐在員の選に漏れた私でしたが、その後の約10年間の勤務でインスリン注射をしていても問題なく海外出張を含む業務をこなしてきた実績のためか、他に候補がいなかったためか、所属する事業部が替わったためか、本当のところはよくわかりませんが、アメリカ・テキサス州にある子会社への駐在を上司から告げられたのです。ずっと以前から海外勤務に憧れ、出張で現地の事務所を訪れる度に「ここで働きたい」と思い続けてきた私にやっと陽の目が当たったのです。私は小躍りして上司の部屋を出て自分のデスクに戻りましたが、まだ内示段階でしたので周りに悟られないようずいぶん気を使いました。

 待望の海外勤務とはいえ、家族をどうするかという大きな問題がありました。当時二人の息子は中学3年生と1年生で、受験や進学を考えると非常に難しい時期なので単身での渡米も考えました。妻とも話し合いましたが、これからの時代にどんな進路に進むにせよ海外での生活は息子達にとって貴重な経験となるはずだし、家族4人で一緒に過ごせる時間を大切にしたいとの判断から家族帯同での赴任を選択しました。神戸のマンションは売りも貸しもせず、そのままおいておきました。これは万一息子達が海外での生活に耐えられなかった場合を想定して帰る場所を確保しておくためです。妻は結婚前に海外生活の経験があり外国人の友人もいましたので心配はしていませんでしたが、私が出張で留守にすることも多く、苦労をかけたなと思うとともに感謝しています。

 

アメリカでの新生活。英語での診察をはじめ、アメリカでの糖尿病事情に驚く

 内示から数か月後、先行して私一人で渡米し、ホテル住まいをしながら新天地に赴任しました。家族を呼ぶには社会保障番号(Social Security Number)の申請、運転免許の取得、住宅探しなど、多くの準備すべきことがあり2~3か月を要したためです。私はこの期間に現地での主治医探しに取り組みました。インターネットで探して近くの病院に予約を入れ、初めての英語での診察に臨みました。選んだ医師はアラブ系の男性医師でしたが、これまでの発病から治療の経緯を説明したところ、「あなたの自己管理方針で問題ない。これからも同じように管理してゆけばよい。」と言われました。インスリンや血糖測定チップも日本で使っていたものと同じものが手に入り、違和感はありませんでした。
むしろアメリカの方が、ドラッグストアが早朝から深夜まで営業していて便利なこともありました。血糖測定器に使う測定チップは、日本では15本入りでしたがアメリカでは30本入りでした。アメリカは日本より糖尿病患者の割合が多いためか、どこのドラッグストアに行っても血糖測定器や消毒用アルコール綿や低血糖用ブドウ糖タブレットなどがたくさん置いてありました。ブドウ糖タブレットはイチゴ味やオレンジ味やメロン味などがあり、お菓子感覚で買っているのではないかと思えるほどでした。

最初に困ったのは専用器具などを英語でどう言うかです。
血糖測定器は、Blood Glucose Meter(ブラッド グルコース ミーター」 と言います。測定チップは strip です。固有名詞では、One-Touch Ultra を「ワンタッチ アルトラ」と発音しないと通じません。また診察を終えてお金を払う方法が独特でした。私の行った病院では、最初に15ドルだけ払い残額は後日保険会社から請求が来るので診察当日はお金を払わないでそのまま帰るのです。最初はこの仕組みがわからなくてしばらく受付で待っていましたが、どうも出てくる人が皆そのまま帰っているので、聞いてみたらそういうことだったのです。またアメリカではまだ健康保険に加入していない人が多くいるので、最初に保険証を示さないと治療を受け付けてもらえないことがあります。

やがてすべての準備が整い、学校の夏休みに合わせて家族を呼び寄せてテキサス州ヒューストンでの生活が始まりました。NASAの施設があり日本人宇宙飛行士も多く住む地区でした。

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