1型糖尿病患者でありながらフィットネスビキニ選手として第一線で活躍されている丸山ノリコさんに寄稿していただきました。
丸山さんは、2018年12月6日からスペインで開催されるIFBB WORLD MASTERCHAMPIONSHIPS WORLD JUNIOR CUPに出場されます。
応援をお願いいたします!
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「第一の壁 家族・友情」
“緊急入院⁇”
16歳の3月、高校1年最後の楽しいスキーの修学旅行から帰ってきた早々に医者から告げられた言葉。
実は修学旅行1か月前くらいから、かなりのカラダの不調を感じてました。
学校の休憩時間に間に合うか間に合わないかとヒヤヒヤしていた授業の後半、お手洗いのことしか考えられない程の多尿、食べても食べても甘いものの欲が止まらない食欲、飲んでも飲んでも喉が渇いてしょうがない自分、家に帰る頃にはクタクタになっていた16歳の冬、166.5cmのわたしの体重は52kgを切ろうとしていました。
母と検査に行った日、そこからまさかの入院通学になりました。高校生活が一転し、母はわたしのために沢山の勉強をして、どんな時でもお弁当を作ってくれて持たせていました。そのときはわたしも病気の意味を理解していなかったので、必ずこのお弁当を食べていれば良くなる!と信じて食べていました。
高校生活発症から社会人5年あたりまでは年に何度か昏睡状態(低血糖)で救急車に運ばれていました。病気になって1番悩み、苦しみ、心身共にやるせない日々でした。
昏睡状態から目が覚めた瞬間、病院の天井、医師の顔がボーっと見えてくると、両親に、待ち合わせしていた友達に、「ごめんなさいっ、またやっちゃったみたい」と、意識が戻る度に涙が止まらなくなっていました。
発症から6年あたりまでは、低血糖発作の意味がわからないまま予期もしないときに起きることが多く、家族、友達との約束、学校の授業時、担任の先生への説明がとても難しかったのを覚えています。発症から8年くらいがわたしの第一期の壁でした。
「第二の壁 社会」
社会に出てからは第2期の壁、1番苦労したのがインシュリンを打つタイミング。人目を気にしてなかなか打てず、初めて-ジーパン打ち-(服の上から直接打つこと)を試みました。
しかし打てるとなれば食事に対してのインシュリン量も活動が増えるほど合わないため”低血糖”に陥っていました。今と違い血糖測定もなかなか簡単にできるものではなく、社会に出てからは低血糖発作から低血糖になるまでが慣れることが出来ず、気づかないときに昏睡になり、倒れて運ばれる。その繰り返しで20年、山あり谷あり過ごしていました。
「第三の壁 マイウェイ」
第三期の壁は自分のカラダで体験しよう!と、思い立ったのは、トレーナーの仕事についたときでした。
自分の筋肉はどれくらいあるのか?脂肪は全て燃やせるのか?インシュリンが出ないわたしのカラダは筋肉が作れるのか?
沢山の疑問が競技へ進むきっかけになりました。今年で丁度10年になります。
仕事も競技も簡単ではないのは患者の皆さんと同じです。自分自身、わたしらしく、どう進んでゆこうか?と、日々模索しています。
第三の壁は自分で選んだ道なので、第一、第二の世間との厚い壁よりも、年月は長いものの、とても充実しています。
病気だからではなく、自分だから、何をしたいのかを強く抱き、そして、ひととは違う病があるから、何を伝えなくてはいけないのか、何を注意しないといけないのかを身をもってお伝えすることが、わたしの役目だと感じています。
自分が病を持っていることを素直に認め、お伝えできることで、人の温もりも感じられました。
患者数が少ない程、伝えることが難しい難病が多くあります。苦しいときに苦しいと言える環境が少しでも増えることを願っております。
丸山ノリコ
プロフィール
16歳で一型糖尿病発症 29年目
35歳からマッスルビューティなカラダを競う大会に参戦
現在パーソナルトレーナーとしてご要望にお応えするカラダ作りをサポート
2009年 はじめての参戦
JBBF 東京ボディフィットネス大会 5位入賞
2016年
JBBF 東日本フィットネスビキニ総合優勝
2016年 2018年
JBBF オールジャパンフィットネスビキニ準優勝
2017年
AFBF アジア選手権 モンゴルにて第4位
2018年
AFBF 東アジア選手権 モンゴルにて総合優勝
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