【Working Life with IDDM】vol.02 会社員生活で直面した「患者歴初期」 の頃

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実は第二回目から、本シリーズは取材記事ではなく、ご本人である伊勢さんが執筆されることとなりました!改めましてどうぞよろしくお願いいたします。

 

注射しながらの会社生活がスタート!何もかも新たな出発となる

工場勤務の最後に 2 型糖尿病と診断され、食事療法と運動療法でしばらくは良好な血糖管理を保っていましたが、本社勤務になって仕事が軌道に乗り出した頃、体重が激減するとともに HbA1c が 11% まで上昇して 1 型糖尿病と診断されました。初めてのインスリン注射が始まりましたが、当時は現在のような持続型や超速効型といったインスリンはまだ出ておらず、 N という持続性インスリンと R という即効性インスリンを組み合わせて使っていました。
主治医からは注射量を指示されていましたが、血糖値の状況を見ながらすぐに自分で考えて注射の量を変更していきました。幸い主治医も理解のある方でしたので叱られることもなく、一緒に最適な注射量を探っていくというような状況でした。インスリン注射を始めたことで血糖値コントロールは着実に良い方向に向かい、 11% まで上がっていた HbA1c は数か月で 7% 前後まで改善していきました。激減していた体重も元に戻り、おかげで痩せていた頃に買ったズボンが次々とはけなくなってしまいました。

こ の頃は結婚して 3 ~ 4 年で、この間に二人の息子が生まれました。長男は私がインスリン注射を始める前に生まれ、次男はインスリン注射を始めた直後に生まれました。注射を始めるとなると大きな生活の変化があり、人生が変わるように思われるかもしれませんが、実際は注射を始めたことよりも、夫となったことや父親となったことの方が大きな人生の変化とでした。逆に妻や子供を養うという使命感から、よりしっかりと血糖値コントロールをしなければと思うようになりま した。

普段の生活ではインスリン注射をしているからといって特段変わったことはなく、忙しく仕事に打ち込んでいましたが、初めて糖尿病がハンディキャップとなったのは生命保険の加入時でした。申込みの告知欄に糖尿病と書くと保険料が割高となり、保険期間の延長も認められない契約となりました。後に住宅を購入した際にも住宅ローンの設定時に団体信用生命保険への加入を保険会社から断られました。
団体信用生命保険とは、主契約者がローンの完済前に死亡した場合に残金の返済が免除されるというものですが、糖尿病があるということで死亡リスクが高いと判定されたのです。
私はこの判定に納得がいかず、数年間の HbA1c が 6% 台を維持しており、逆に糖尿病があることで 「一病息災」 とも言える良好な健康管理が保てているという内容の手紙を保険会社に送りつけましたが、判定は覆りませんでした。最近は糖尿病でも入れる生命保険が増えてきましたが、病気のリスクは算定されているはずですから、病気のない人に比べると割高な保険料となっているのではないでしょうか。住宅ローンも、そのような状況でしたので月々とボーナス時の返済金額を上げて完済期間を短く設定せざるを得ず、お金のやりくりには苦労しました。

 

働き盛りの30代、国内外で直面したさまざまなこと

この頃の私は 30 台半ばで最も忙しく第一線で働く毎日でした。
私は技術系社員で自社素材を使った新商品の開発に携わっていましたので、顧客や加工場の訪問及び展示会や学会への参加のため国内外を飛び回っていました。インスリン注射をしながら海外出張も何度もこなしました。空港での手荷物検査ではインスリンと注射器を出して示す必要がありました。当時は注射器が金属製でインスリンカートリッジを入れ替える方式でしたので、かばんに入れたままだと金属探知機にひっかかりましたが、今はプラスチックの使い捨て注射器が主流ですので黙ってかばんに入れていてもほとんど検出されないですね。もっとも 911 テロ以降は飛行機への液体持ち込み規制が厳しいので、怪しまれないよう事前に出しておいた方が無難ですが。機内食は糖尿病食を頼んだこともありますが、あまり美味しくなかったので 1 回で止めました。甘いデザートを残すなどの食事量の調整で糖質の調整はできますので。

 

インスリン注射を始めて間もない頃に阪神大震災に遭遇

当時住んでいた兵庫県西宮市の古い 7 階建てマンションは最新の耐震基準を満たしておらず、震度 7 の直撃を受けて 1 階の駐車場の柱が折れ 2 階の床が地面に着いて傾いてしまいました。パジャマの上からジャンパーを着て妻と 1 歳の長男を連れ、傾いて崩れそうな階段を下りて近所の中学校へ避難しましたが、インスリンを持って出る余裕はありませんでした。 2 ~ 3 時間後に落ち着いてからインスリンがないことに気づき、妻と子供を避難所に残して一人で自宅へ戻り、家財道具が崩れている中からインスリンと注射器・針を探し出してきました。

その日の夜に大阪に住む父親が妹の運転する車で迎えに来てくれたので、そのまま実家へ避難してインスリンの補充もすぐにできました。私は幸いにも災害でインスリンを失わずにすみましたが、 IDDM の人はインスリンがないと生命を維持できませんので、常にインスリンを持ちだせるようにしておくことが大切だということを改めて感じました。

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