年間最高記録120回超!『出張の達人』へ
そうして 2 年ほどが過ぎたある日、東京への転勤を言い渡されました。
予想していた大阪ではありませんでしたが、私だけが岡山から東京へ移動することで家族はそのまま神戸で過ごせたのは想定どおりでした。こうして単身赴任のまま東京へ移りましたが、モノと情報が溢れる東京は岡山に比べると新鮮かつ刺激的でとても楽しく仕事に取り組めました。
私の立場は、岡山に本体のある開発部の東京駐在員でしたので上司は岡山におり、その開発部は大阪本社にある事業部に属していましたので、岡山や大阪での会議や打合せが頻繁にあり、東京からの出張に合わせて神戸の自宅に立ち寄る機会が多く助かりました。このような状況から新幹線や飛行機に乗る機会が増え、最高で年間 120 回飛行機に乗りました。手荷物検査でインスリンを出すことも当たり前になり、いつしか出張の達人?になりました。
単身赴任生活は東京へ!1型糖尿病であっても仕事の多忙を単身で乗り切れると知った日々
東京ではもうひとつ大きな出会いがありました。
ビジネススクールへの参加です。東京には自己啓発できるところがたくさんありましたが、会社が斡旋してくれた有名なビジネススクールを選びました。
すでに述べたとおり出張が多く非常に忙しい日々を送っていましたが、せっかく東京に住んでいるこの機会を活かしたいとの思いから思い切って飛び込みました。
45 歳という遅いタイミングでの入学でしたが、ここで非常に大きな学びと出会いを得ました。ここにこのブログを書いているのも、そこでのある方との出会いがあったからです。業種、年齢、性別を超えた向上心の高い (ほとんどが年下の) 人々との出会いは、私の人生においてとても有意義でありました。 2 年間で 8 つのコースを受講し、そこで出会った何人かの人々とは 10 年を経た今でも交流が続いています。
東京では大きな病院の糖尿病内科にかかりました。さすがに病院も薬局も手際が良く効率的とは感じましたが、この時期は仕事とビジネススクールが面白くかつ忙しかったので、あまり糖尿病に関して積極的に活動することはなかったものの HbA1C は 6 ~ 7% 台を維持できていました。
言い換えると単身赴任や仕事の多忙は 1 型糖尿病があっても乗り越えられるということを結果的に示せました。毎年夏休みには家族を東京の単身寮に泊めて東京ディズニーリゾートへ遊びに行ったりして、今振り返ると公私とも充実していた東京勤務時代でした。