【Working Life with IDDM】 vol.07 家族と離れて暮らしながら病気を管理する日々

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引き続き“夢”を掲げ、住宅購入の選択

2 回目の岡山勤務 4 年目で住宅購入を考えました。

二人の息子達は当時小学 2 年生と幼稚園年長組でしたが、彼らが中学校に入る前に住宅を購入しておけば、将来予想される私の転勤時にも、私が単身赴任すれば息子たちは転校せずに済むので落ち着いて高校・大学受験に臨めるだろうとの思いから決断しました。(この目論見は後日、大きく外れることになるのですが…)

当時はまだ岡山での勤務が続いていましたが、このまま岡山に留まるつもりはなく、いつかは海外へという気持ちを持っていた私は、岡山勤務のまま神戸にマンションを購入しました。

神戸を選んだのは、私自身が大阪生まれの大阪育ちで関西に家を持ちたかったということもありますが、当時は本社が大阪にあったため、海外の前に本社勤務になっても対応できるようにしておきたいとの考えもあったからです。

また妻が岡山の生まれ育ちながら、神戸の大学を卒業した後しばらく神戸の会社に勤務したことで神戸が気に入っていたことや、妻のお父さんが神戸に長く勤められて神戸になじみがあったことも理由でした。

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(photo by Nomadic Lass

マンション購入に当たっては以前述べたとおり団体信用生命保険への加入を生命保険会社から糖尿病を理由に断られましたので、 35 年の長期ローンを組んで毎月の返済額を抑えるということはできませんでした。かといって定年後にローン残高を抱えて退職金を返済に充てるということもしたくありませんでしたので、ギリギリまで月々の返済額を増やして私が 60 歳になる前に完済できるようにローンを組みました。毎月のやりくりは楽ではありませんでしたが、都会に住むことで自家用車も必要なくなりましたので、車検切れと同時に車を手放して月々の支出を抑えました。
 
 

自身の望む治療観を共有できる主治医探しへ

こうして家族を新しく購入した神戸のマンションに住まわせ、自分は単身赴任寮に移って岡山に残るという生活が始まりました。糖尿病の管理状況に大きな変化はなく、 HbA1c は 7% 前後で推移していました。

岡山での主治医は親切で丁寧でしたが、最新の治療法を取り入れようとするようなタイプではなく、安定した状態を維持することを重視しておられるようでした。そのため、常に新しいものを求める私は少し物足りなさを感じていました。また単身赴任になって土日は神戸の自宅へ帰っていましたので、土曜日に受診できる主治医を神戸で探し日本糖尿病協会の登録医を隣町に見つけました。

仕事では東京方面への出張が多くなり、岡山から東京へ向かう際に神戸で途中下車したり、月曜日や金曜日の出張の際には土日に自宅でゆっくり過ごせたりしましたので、初めての単身赴任も問題なくこなせました。ただ当時小学校低学年だった二人の息子たちと過ごす時間が週末に限定されるのが辛かったです。土日に帰ると近所の公園を探しては息子たちを連れ出して一緒に過ごすよう心がけました。

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