【1型糖尿病の元アスリート対談】中新井美波さん × 大村詠一

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この度、元陸上競技選手で日本IDDMネットワークの応援団「100人委員」のメンバーでもある中新井美波さんが、1型糖尿病の根絶を目指した「1型糖尿病研究基金」への寄付付き商品を企画いただいたのを記念して、日本IDDMネットワーク副理事長の大村詠一との対談を行いました。

寄付付き商品のスマホケースやTシャツは、本日3月31日(水)までの受注販売となっておりますので、ぜひ購入で研究を応援してください。

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1型糖尿病ってどんな病気?

中新井美波(以下中新井):1型糖尿病という病気のご説明をお願いします。

 

大村詠一(以下大村):健康な人であれば自分の膵臓から出るはずのインスリンというホルモンが出なくなる病気です。ただ、このインスリンは生きるために必要なホルモンなので、私たちは注射やインスリンポンプと呼ばれる医療機器を使って毎日補充する必要があります。

人によって回数は違いますが、1型糖尿病を発症すると1日4〜5回の注射を毎日打たなければいけません。それが一生続きます。今のところ治らない病気なので、病気を発症したことによる精神的な悩みや経済的な悩み、それらによる不安と付き合っていかなければいけません。

 

中新井:私の中でインスリン注射は、靴紐が解けたら結ぶような感覚です。食べたら歯を磨くように、血糖値が上がったら注射を打つ、そんな生活の一部として自分の習慣に取り込むことができたら、私自身は辛い病気ではないと感じています。

それよりこの病気は「何も出来ないんじゃないか」「食べられないものが多いのでは?」など偏見や誤解と戦っていく病気だと思っています。

チャリティランナーとして走っていただいた大阪マラソン2019にて

 

大村:1型糖尿病は、インスリンを補充すればいろんな事ができ、いろんなことにチャレンジできます。スポーツも、趣味も仕事も、そして女性の妊娠・出産も可能だけれど、その反面、血糖値のコントロールがうまくいかず酷い低血糖や高血糖を起こすと昏睡になり、死に至ることもあります。また、慢性的な高血糖により血管がボロボロになり、いろんな合併症のリスクが高まってしまうという不安もあると思います。

個人的な意見ですが、前向きに捉えられる人は、血糖コントロールがうまくいっていたり、趣味に没頭したり、やりたい事がある人、自分もそうでしたが、インスリン補充ができれば何にでも挑戦できるという考えの人に多いのではないでしょうか。しかし、そうでない人も少なくありません。

この病気が治るための研究に賛同し、今回のチャリティグッズを通したくさんの悩みを持っている方もいらっしゃるという事を知ってくれたらと思います。

 

中新井:喧嘩せずに仲良く付き合っていく間柄ですかね。

 

大村:そうですね。仲良く付き合っていきたいのと、気持ち的にうまく折り合いをつけられるかどうかだと思います。

病気を発症してすぐで合併症もない人の中には、前向きに捉えやすい人もいると思いますが、合併症を併発してしまった人は、すぐ前向きにとか言われても前とは生活の質が明らかに変わってしまう場合もあるのでその辺りも難しいと思います。

 

中新井:そうですね。

 

大村:自分がアスリートだった時は、その部分が全く見えておらず、この病気は注射を打てばいろんな事ができるのに、なぜこんなに偏見が多いのだろうと感じていました。

私も発症初期は運動をお勧めしないと言われたり、食事制限しないといけないと言われたり…。

 

中新井:確かにそうでしたね。

 

妊娠・出産について

大村:妊娠出産の時の血糖コントロールはどうでしたか?

 

中新井:妊娠出産の時の血糖コントロールは、注射からずっと体につけているタイプのインスリンポンプにしたのでとても良かったです。

 

大村:それは良かったですね。血糖コントロールを良好にするためにインスリンポンプを使った方が良かった、という声も聞きます(※1)。でも、それを今後も使えるかというと、医療費の問題もあり、なかなか使えない人もいます。残念ながら、自分の血糖コントロールを最善にするための治療を誰しもが平等に受けられる状態ではないと思います。

※1:インスリンポンプを使用すれば誰しもが血糖コントロールが良好になるというわけではありません。

 

中新井:それに小児慢性特定疾病医療費助成制度も20歳までですよね?それまで一番医療費が高いSAP(Sensor Augmented Pump=リアルタイムCGMとインスリンポンプを組み合わせた治療方法)を使用している子も、医療費がかかるため、注射に変えようという人も少なからずいますよね?

 

大村:その話は現状としてありますね。20歳の誕生日がきたら対象外(※2)となるため、今まで受けてきた治療法を変えなければいけなかったりする方もいます。20歳になったら国民年金の支払いも始まり、支払いが増えていってしまいますよね。

※2:コロナ禍の特例として21歳までとなっている場合もある。

 

中新井:そうゆう仕組みがもう少し変わればと思っています。

 

大村:そうですね、小児慢性特定疾病医療費助成制度の対象年齢を引き上げてほしいという要望書は日本IDDMネットワークからも国へ提出予定です。

 

中新井:ちょっとずつでも前進していけばいいですよね。

 

発症した当時の心境や状況

中新井:発症した当時の心境や、状況について話しましょうか。

 

大村:中新井さんはどうでしたか?

 

中新井:まず状況は、糖尿病を発症したとき特有の喉が渇く、トイレの回数が増える、体重が減る、お腹が減る、だるい、この5つが全部当てはまっていました。12歳の時に発症しましたが、私は野球に没頭していたので、動いて喉が渇き、飲み過ぎでトイレの回数も多いのかなぁ〜くらいにしか思っていませんでした。

病院に行く=痛みがある時に行く場所という考えでしたので、痛くもないし、しんどいけれど、動けないほどしんどいというわけでもないので一ヶ月くらい放置してしまいまして・・・

小学校の尿検査で引っかかって「やっぱりこの身体のだるさはなんか原因があったんや」と。

 

大村:1年に1回の学校の尿検査のおかげで分かったんですね。

 

中新井:そう、ずっとしんどくて、誕生日の三日後に尿検査の結果が、自分だけ大きな封筒で返ってきました。尿糖がプラス4と記入されていて、病院に行きなさいと言われて、病院に行ったところ、血液検査をしてみましょうか、と。血液検査の結果が出たら、病院の先生や看護師さんがバタバタと慌て始めて、ここでは診れないのでもっと大きな病院へ行ってくださいと言われました。

大きい病院に運ばれた時は「私、死ぬのかな?このしんどさはやっぱ死ぬんだなぁ」と思って覚悟していました。

そして、翌日、1型糖尿病という病気ですと、診断されました。

お医者さんから「一生注射を打たなければなりません。ただ打てば変わらない生活が送れるよ。」と言われました。その時の言い方が真実を言っているけれど素敵な言い方だったので、死ぬんではないんだなと。

実際ショックではありましたが、ショックというより、生きれるんだという希望の方が見えました。

また、大きく、太い針を刺すというイメージを持っていたんですが、研究してくださる方のおかげもあって、そんなに痛くない針を作ってくれてありがとうと感謝しました。

講演いただいた第3回IDDMこども会議にて

 

大村:なるほど、そんな経験をされたんですね。

私の場合は小学校2年生で発症しました。最初風邪のような症状が出て、夜中の2時、3時に起き、トイレに行ってはペットボトル1本分くらいの水をガブ飲みすることを繰り返していました。これはおかしいと思い、風邪薬をもらいに行くついでに病院で症状を伝えたら、すぐ血液検査と尿検査で引っかかり、大きい病院に行ってくださいとなりました。私の場合は低学年ということもあって、直接先生からではなく、病院のロビーで母親から聞きました。父親がすぐ来てくれて大きな病院に運ばれ、車椅子で移動し、入院しました。

 

中新井:だいたい1ヶ月くらいですか?

 

大村:私は1ヶ月の予定でしたが、退院日に麻疹になったので、2ヶ月かかりました。今は数日から数週間などもっと短くて済むみたいですね。

 

中新井:そうなんですね。

 

大村:入院当初、同じ病気のお姉ちゃんがいて、その人と一緒に点滴がつながれたスタンドを持って階段を走ったのは思い出ですね(笑)

 

中新井:えー階段トレーニングね(笑)

 

大村:何で病院4階ないのーって言いながら上っていました(笑)

 

1型糖尿病と共に生きていくんだと認めた瞬間

中新井:みんな何となく、ターニングポイントがあると思うけれど、自分の状況を理解して注射を打っていって、自分の中で1型糖尿病と共に生きていくんだと認めた瞬間っていつでした?

 

大村:自分の病気のことをカミングアウトした時ですかね。自分のクラスの人たちに病気のことを言われて嫌だった言葉などを発表した時にすごくスッキリしましたね。

 

中新井:それは2年生の時ですか?

 

大村:2年生で発症して3年後の5年生になってからだね。アスリートとして結果を残した時に、「何で大村君そんな頑張れるの?」と聞かれて思い出したのが、発症してすぐの3年生の運動会の時のことでした。

田舎で全校児童が約70人しかいなかったから2種目に1回、1日に10種目くらい出番が来るので運動量も自然と多かったです。それでも何かあったら先生たちがフォローするよ、と、他の子達と一緒に出してもらえたのが、今振り返ると病気をしていてもいろんなことができるんだと思えたキッカケだったかなと思います。

 

中新井:私の場合、実は高校3年生まで、ただ何となく注射もしているし、カミングアウトもしているし、自分の中でこんなの病気じゃないわーとか、飲み込めていなかったですね。

やっと、自分の中で悟って、1型糖尿病だなと思えたのが高校3年生の時でした。

そのきっかけは、高校2年生の全国駅伝で、自分が京都都大路を走る直前に地域新聞に病気であることが記載され、それまでは、結果しか新聞に載っていなかったのに、1型糖尿病と公表した後、結果が良くなくても、記者が私のところに集まり、走りではなく、1型のことばかりきいてきました。もうこれは1型糖尿病で走ってる人というだけで、誰も、私の走りは見てくれないと感じてしまっていました。

「どんなに速く走っても「糖尿病でも頑張っている人」としか思われない」と母に泣きながら伝えると、

「それは一番になっていないからでしょう?」と。要は逃げてるだけでしょ、そんな風に思うなら一番になったらいいと言われ、最後の駅伝で優勝して、区間賞をとることだけ考えて走り、準優勝でしたがやっと認められた、この一年報われたかなと。

走り終わった後に、記者が来てまず区間賞のインタビュー前に1型糖尿病のことでも何でも聞いていいですよ、好きな風に書いてくださいと初めて言いましたね。

 

大村:1型糖尿病で走るのが速い人になりたいわけじゃなくて、速いけれど、この人は1型糖尿病なんだって、いう感じですね。「安いけど美味い」じゃなく「美味いけど安い」ですね。

 

中新井:そう、そうなんです!!

 

大村:そういう意味で私もエアロビックで世界一になる目標を明確化した時がやっと割り切ったころだったのかなと思います。

今の病院に転院して「大村君は何になりたいの」と言われた時に「エアロビックの世界チャンピオンになりたい」と主治医に伝え、

「だったらそれになるために、体作っていこう。ご飯を食べてそれにあったインスリンを打っていこう」

と言われた時に(今だったらあたり前だけれど)それまでのカロリー制限食から食べたものに合わせてインスリンを打つ方法に変わって、ちょうど超速攻型インスリンが出たときでもあっていろんな種類のインスリンがあったし、こんな選択肢があるんだって思ったのがかなり大きかったかなと思います。

大会会場でインスリン注射を行う大村

 

中新井:実は私も大学行って、病院変わるまでは、カロリー制限の食事でしたよ。

 

大村:昼間とか結構お腹空いてましたよね。

 

中新井:わかる!摂取カロリーが2200kcal!!

 

大村:私は1800kcalって言われたよ。

 

中新井:ご飯は150gとか。

 

大村:学校の給食では、友達に測ってもらっていましたよ。

 

中新井:そうなんですか?

 

大村:みんなおかわりしているのに、私だけ足りない(笑)

SNSで情報が広がっているけれど、1型糖尿病でもメロンパン食べて良いんだ、アンパン食べて良いんだってところだけ抜粋して広げるのではなく、ちゃんとコントロールした上で、いいよって。間違いないように発信していきたいですよね。

前は新幹線とか人目のつくところで注射を打つことが啓発になると思っていたけれど、病気を知らない人が、いきなり注射打っている人を見たら何あの人?と思われても仕方ないですよね(笑)

お友達を連れてこられた親戚との食事の際に注射を打ったら、「注射を打つならちゃんと説明しなきゃびっくりされるよ」と言われ、結構世間知らずなところが多かったなと反省した過去があります。

 

中新井:例えば喘息の吸引機とかだったら、あの人喘息なんだなとわかるように、注射打ってもあの人1型糖尿病なんだなぁとわかるくらいみんなが知ってる世の中になるために私たちが頑張らないといけないですよね。

 

1型糖尿病になって良かったこと?

中新井:1型糖尿病になって良かったことはありますか?

 

大村:それはもちろんあって、人との出会いだと思います。病気じゃなかったら出会えていない人もたくさんですし、本当にこの病気と向き合いながら夢に向かっている人たちと出会えましたね。

 

中新井:1型糖尿病にならなかったら、この病気があることも知らなかったですしね。

 

大村:1型糖尿病は違いますが、指定難病の333疾患のうちいくつの疾患を知っているかとなと考えたら、私が知っているのは、10個あるかなって程度ですしね。

 

中新井:そうですね。

 

大村:そういう意味では、知って欲しいというだけじゃなくて、自分たちも知る努力をしながら相互理解を今後も深めていきたいと思います。

 

中新井:もちろん出会いもあったし、失ったものもあるけれど、何故か得たものもあるよね

中新井さんがリーダーを務めるバンド「1-GATA」

 

大村:得たものもあるって思えたら、前向きになれますよね。コロナ禍ではあるけれど、オンラインで良いから人の考え方、同じ病気だけれども違う考えの人に触れてもらう、機会を増やしていったら良いかと思います。

 

寄付付き商品について

中新井:日本IDDMネットワークの活動を教えてください。

 

大村:日本IDDMネットワークは阪神・淡路大震災をきっかけに、災害に備えて皆で、相互に助け合おうと発足しています。その中で私たちが約束する3つのことは、「救う」「繋ぐ」「解決する」。

「救う」は電話やメール、SNSなどでの相談対応もしています。あとは、自分もそうでしたが民間療法に走ってしまう人が結構います。いろんな噂、これが効くらしいよなどの誤った情報に騙されないように、そして、正しい情報を得てこの病気と付き合っていけるように、糖尿病専門の先生に監修してもらった冊子を含む、発症初期の人に知ってほしい情報をつめた「希望のバッグ」を届ける活動をしています。

「繋ぐ」は、患者やその家族は孤立しがちなので、同じ病気を持つご家族と同志をつなげたり、行政や企業、研究所を繋ぐ活動としてセミナーを開催したりしています。

「解決する」ですが、これは日本IDDMネットワークの活動の中で一番特徴的だと思います。日本ではまだまだ、糖尿病の研究は進んでいないのです。世界では100億円規模で研究に予算がついたりしていますが、日本ではそんな仕組みもありません。だったら当事者で、患者家族同士で寄付を募って、1型糖尿病の研究をしている研究者に渡して研究を思いっきり進めてもらおうという思いで活動しています。

2004年に京都大学の松本慎一先生が、日本で初めて膵島の移植手術をした時に、日本だと研究を応援する助成制度が足りないということでその翌年2005年から1型糖尿病基金を立ち上げました。現在までに87件、4億6750万円の研究支援ができていますが、これをまずは10億円にできるように、様々な活動を続けています。

ふるさと納税や、購入いただいた商品の一部が寄付される寄付付き商品とかで応援してくれる人たちが増えてきているので、その輪を広げていって、この病気が治る病気に変わっていったり、今の治療がもっと良い治療法になっていけたりできるよう進めていきたいなと思っています。

 

中新井:今回寄付つき商品ということでデザインしたのですが、1-GATAというバンドの中で、1型糖尿病でもなんでもできるんだよと伝えるために歌を歌ってきたけれど、その中でヒツジの曲「3439匹の羊」とウサギの曲「強がりうさこ」という曲があって。

 

大村:ウサギのデザインは1-GATAの楽曲から来たんですね。熊のデザインはどんな想いが込められているんですか?

 

 

中新井:熊は強いイメージだけど、実際に熊は繊細な生き物だということを子どもの絵本から学んで。頭がいいとか実際は人間に危害を加えないとか、子どもを守るために仕方なく人間を襲ってしまうとか、話を聞いた時に自分は今まで勘違いしていたなと。ニュースで人を襲うイメージもあったけれど実際はそうではないというのを知って、今回子グマとか子ヒツジをイメージして作りました。

ヒツジのデザインは仲間がいるんだよという意味で一緒に仲良く注射を打っている様子にしました。

一つこだわったのが悲しそうにしないこと。あと今後の未来に託したいことは、膵臓が働くように治るのか、それか1型糖尿病であってもインスリン注射が苦ではない、治らないけれど、治療が苦ではない未来になるのかとかはわからないけれどそれに伴って注射がなくなるといいよね、これから発症してしまう子どもたちに向けて、注射が飛んでいくのをイメージして作りました。大村さんもそうだと思うけれどもし膵臓が働く手術ができるようになっても一番に治療しようとは思わないでしょ。

 

大村:そうですね。私は後回しでいいですよ。

 

中新井:子ども達から治して欲しい。

 

大村:私は、子どもだけじゃなくて成人で合併症の不安に悩んでいる人たちに手術を受けて欲しいです。子どもたちにより良い未来を届けたいという意味の一つに、幼い子どもたちでも使える治療=すべての人たちが使える治療であるっていうことがあるんです。治療が子どもも受けられるようになるには時間がかかるんですよ。

治療というものは、大人たちで治験がされて、そのあと妊婦さんらが使えて、最後に子どもたちに適用されます。

よく子どもたちに注射を打たないでいい未来をというと、大人の人たちは受けられないの?と質問をいただくのですが、真っ先に受けられるのは20歳をすぎた皆さんですよと説明しています。

 

中新井:ウサギは「強がりうさこ」ということで、元々、インスリンなんかいらない平気平気といっていた自分を重ねたデザインでウサギは人参が好きで、好きなものと一緒に生きていくのはアリだしという意味を込めて。

 

大村:こだわっていますね。ヒツジはどうですか?

 

中新井:仲間がいるよ、痛みも悲しみも分け合って行こうという意味で、そして日本IDDMネットワークが使われている言葉を英語で入れました。

 

大村:ありがとうございます。

 

中新井:クマは、「泣けるくらい生きろ」と書いてあります。

 

大村:なるほど。

 

ご購入いただく方へのメッセージ

中新井:最後に購入していただく方々にメッセージをお願いいたします。

 

大村:皆さんの購入が、1型糖尿病患者、家族の笑顔ある未来につながりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

 

中新井:これ、ドラッグやってるの?ってデザインかもしれないけれど(笑)一人でも多くの人がそんな病気があるんだと知っていただけたらと思っています。義援金がなくなるような社会になればいいと思っているので皆さん購入をお願いいたします。

 

大村:病気の人はもちろんですが、一般の方にこのグッズを持ってもらって、1型糖尿病根絶を目指す応援団が増えてくれたらと思います。

 

 

 

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